自分の感覚を信じられなくなったら危険信号


『3000人の一人だった…』S嬢はてな
『あなたが「正しい」わけでも「悪い」わけでもなくて』琥珀色の戯言


の2つの記事を読んで、とてもおもしろかった。自分にとって、とても価値ある言葉がいろいろ。

この2つの記事のきっかけとなっている記事、
『俺の何が正しくて、何が至らないのか、教えてください。』深海魚のカタルシス
はプライベートモードで公開となっていて読めていなくて、元々の文脈とは違った読み取りをしているかもしれないのですが、

話題が自分にとってタイムリーで関心あることだったので、いろいろと思い出したり、関連して考えを整理したり。

場の構造の認識と、自分が悪いのではないかというところに陥っていく自分の心境を起こしているものに気づくことだと思う。そこで見えてくるものが答だと思う。
『3000人の一人だった…』S嬢はてな

という1文を、自分の身になぞらえて、そうそうそう、と激しく同意しながら、もやもや考えていたことにピタっとくる言葉をもらえた気がして嬉しくなる。


僕もモラハラな場の構造になかなか気がつかずに、精神的にかなりのところまで追い込まれたクチですが、反省として一つ思うことは「周囲とのコミュニケーションを取れていれば、あそこまで追い込まれなかったかもな」ということ。
まず、正しい認識・・・というか、少なくとも信頼できる人に同意をもらえる認識を持つことが、自分なりの答に辿り着くための一歩だと思う。


僕は精神的にかなりきつかった頃は、頭がぐるぐると回る中でも、「自分の感覚が信じられなくなる」というのがきつかった。とんでもないことをやる人に限って「これが当たり前だ」という顔をしているので「もしかして自分が間違ってる?対処しきれない自分が悪いのか?」と、自分の価値観と判断能力自体を疑うようになってしまう。「やっぱりアレってちょっとおかしいよな」「いや、自分が至らないだけなのかもしれない」と、まず事実認識をどう位置づけようかでぐるぐる回って消耗していたように思う。


一度精神的にオーバーヒートしてから、段々に復帰する過程で大きかったのが、周囲の同僚と話をして、自分の周りの環境の力学構造を確認できたこと。「あ、やっぱりみんなコレはおかしいって思ってたのね」「あの人は一見やり手っぽいけど見かけだけのトンデモ君だってみんなわかってたのね」と、わかった。事実としての認識が定着して、そこで迷うことがなくなった。

それに、「君さ、あんな状況までよくまぁ頑張ってたよね」とか、周囲の同僚からはそれなりに評価してもらっていることがわかって、別にイチ職業人としてまるでダメというわけでもない、という証言を得られて多少は自信が回復した。


自分の感覚が信じられなくなっていく、というのはかなりの危険信号だ、と今は思う。
周囲がおかしいのか、自分がおかしいのか、その2つの認識の天秤で間を行ったり来たりすることは精神を消耗させる。周囲がおかしい、という方に天秤の秤がふれれば、あれもこれもおかしいじゃないかちくしょうと腹が立ってくる。逆に自分がおかしい、となれば自分の性格傾向のおかしなところを際限なく探し始めて、なんだか申し訳ない気分で一杯になる。
さらに、このギャップの存在自体が、自分の感覚に対する信頼を削っていく。
他のことが手につかなくなる。
消耗しきった精神は、いつかちょっとしたことでぽっきりと折れる。


つくづく、一人の視点には限界があると思った。
同じ状況を見て、他の人達はどう見ているのか。そのことを知ることで、まずは「事実の認識」を固めることができる。
僕は自罰的に「自分が悪い、おかしい」という風に認識が歪むムキがあって、その分も含めて他者の視点から常にフィードバックをもらうことはとても大事なものに思う。


そして、ぶれない「事実の認識」があってこそ、その先を考えることができる。
周囲がおかしいのであれば、その対策を考える。最悪でも「にげる」という選択がある。
自分がおかしいのであれば、それを踏まえた上で、まず目の前の状況を乗り切るためにはどんなことができるのか。また、根本を変えていくには何ができるのか。
少なくとも、ぐるぐる回って精神を消耗してぽっきりと折れてしまうことは避けることができる。


特に、その場に組織構造的な歪みがある時には、個人の力は無力だと思う。少なくとも自分の身を守るには周囲とのコミュニケーションは必須だと思う。
愚痴を話したり、本音で話せる人がいるというだけでも、全然違う。


とまぁ、今はそう思っているのですが、でも今の所属会社ではこれ以上やっていく気はなくって、転職活動中。
求められることとやりたいことの方向性にズレが大きいのと、頑張ってみたけど、やはりココの組織文化とか官僚体質な力学構造は自分には水が合わないなぁと実感したので。


だけれども、「両親とか知り合いに「また転職?(次が4社目)また、あんたいい加減なことばっかりやってるよね」とか言われんだろーなー、自分なりに考えてるんだけどねぇ、またチクチク責められるのは気分いいもんじゃないな」と思っていたので、

当時の僕は、「この程度のことも乗り越えられないようじゃ、この先とてもやっていけないはず……」と悩んでいたのですが、実は30余年の僕の人生においては、「この程度のこと」じゃなかったわけです。
『あなたが「正しい」わけでも「悪い」わけでもなくて』琥珀色の戯言

「レベル1でドラゴンに遭ってしまっているのに、勝てないことに悩んでいる」っていうことは、けっして少なくない。もちろん、戦ってみるのも「経験」かもしれませんが、どうしても難しそうなら、そこで同じことを繰り返して煮詰まるより、「にげる」を選んだほうがいいんじゃないかと思うのです。
『あなたが「正しい」わけでも「悪い」わけでもなくて』琥珀色の戯言

を読んで、意を強くした。

うん、そうだよな、事情を知らない外野がなんと言おうと、自分にとっては「この程度」な経験ではなかったし、水が合ってなければ「にげる」のもまったくアリだよな。
切り替えて、次の場所でレベルアップにはげもうじゃないか、とかなり前向きな気分に。


次の職場に移れたら、まず真っ先に「話せる仲間」を探して作ろう、と決意している今です。