白紙の原稿用紙


「あんたは、まったく理屈っぽくって困ったわ」
というのは耳タコに母親から聞かされるお小言セットの1つ。


さいころにピアノ教室に通っていたのだけれども、
「それって、どうしてそういう弾き方をしなきゃいけないの?誰が決めたの?」
と、先生に食いついていたそうで、まぁ、結果、バイブルにも到達することなくピアノは挫折となって、母親を悲しませたようだ。
いまだに聞かされるエピソードの1つ。


一方で、僕の方とは言えば、あまりそういった「理屈っぽい」具体的な問答の記憶はなく、
覚えているのは、
「生意気だ」
と、よく言われていて、その度に悲しい気持ちになった記憶。


「なんでだろう?」と疑問に思ったこと、それに「そっかこれはこういうことなのか!」と大きな発見を見つけたこと、そういうことを話すたびに、「生意気だ」と怒鳴られて非難されたこと。


なんで、どうして「生意気」と言われなければいけないのだろう?僕は、心に浮かんだ疑問や、すごい発見を聞いて欲しかっただけなのに!
うつむいて、黙り込むしかなかった。


そのうちに、そういったことは言わなくなった。
だんだんに、あまり物事を考えないようになったように思う。


学校の勉強だって、自分の言葉なんていらない。
法則を覚えて、それをひたすらに当てはめればいい。
別に、なにか発見するなんて必要ない。
ルール。はい、覚えました。
問題。はい、このルールで解けました。
問題。えーと、それはまだルールを教えてもらってないからできません。


とはいえ、多分、何も感じていなかったわけであるはずもなく、
そのうち1人でゲームにどっぷりと漬かるようになっていった。
今思えば、その世界に入っているうちには、頭を麻痺させられるから。
その中にいる間は、なにも考えなくていい。つらいことも感じない。
そうやって、「嵐」が過ぎるまで待てばいい。


そのうち、小学校で、毎日、日記を書いて提出する、先生はコメントを入れて返す、というのが宿題になっていた時期があった。
何を書いていいのか、本当によくわからなかった。
今から考えるとウソみたいだけれども、ほんっとに、わからなかった。別に書きたいことなんて何も浮かばなかった。
なんでこんなことをしなければいけないのか、意味もよくわからなかった。朝起きて学校に行って晩御飯を食べて。毎日の行動なんて決まりきっているじゃないか、人のそんなことを読んだって何がおもしろいんだ。

しょうがないので、毎日「ドラゴンクエストが発売されるまであとXX日です。楽しみです。」というカウントダウンを延々と毎日書いて「XX君は本当にゲームが好きなのですね」との先生からのコメント。*1


それから、はっきり覚えているのは、小学生の作文の授業。
1時間くらいの間、うんうん悩んでほんとに1行も書けなかったのをはっきり覚えている。
それがまた書けない自分自体に、さらにショックで。


「なんで文章書けないんだろ、そんなに自分って空っぽな人間なんだろうか」って、教室で真っ白な原稿用紙を見つめて、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

*1:今思えば、先生も困っただろうなぁ・・・