世のデザインする人々を勝手に応援しています


『愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ』うどんこ日記

を読んで、「おぉ、これすごいすごい」とブックマーク。


見事な図解に感動したんです。
それに、僕の勝手な解釈かもしれませんが、ボルテージが上がっている状況を考慮してのうまいトーンの取り方と言葉の選び方に。


僕は、機能的に美しいと感じるものにうっとりしてしまうタチで、その延長でか、図解大好きっ子です。複雑な構造をもつものを、うまく図解におとしこめるとこのうえない快感を覚えます。
PowerPointVisioで図を作り始めると燃えます。構成にこだわり、統一感のある色づかいと線の表現にこだわり、文字のフォントにこだわり、そして、「もう十分すぎるから早く出せ」と怒られます。完成度よりも、報連相のスピードが求められるシーンではストレスたまりまくりです。


そんなワタクシですので、デザインをなりわいとする人々に尊敬と畏敬を持っています。自分にうっとりとしあわせな気分をもたらしてくれるものを作り出していく人々ってすごい、と単純に思うのです。自分ができないことへのコンプレックスの裏返しなのでもあるのでしょうが。


そして、そんな図解大好きの延長として、ファシリテーショングラフィック*1という技術にも興味があります。
「議論の対象と構造を「見える化」することで、参加者の認識を合わせ議論を活性化する」というものです。


僕は『愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ』の記事を読んで、これは見事な「ファシリテーショングラフィック」のお手本じゃないか、と思ったのです。


以前の所属部署ではデザイナーさんと一緒に仕事することが多く、よく議事録をとってもらっていました。その時によく彼らに言っていたのが、
「議事録をとってるだけじゃもったいないよ。もっとその技術と才能をいろんなシーンで生かしていけばいいのに!」ということでした。


彼らはスケッチブックなどに議事録をとっていくのですが、とても完成度が高い。まるではじめからそのページに構成が決まっていたかのように、内容を書きとめていき、会議が終わると「なるほどねー」と皆が納得する見事な図解ができあがっていました。
全体像が複雑で、説明する本人もはっきりとはわかっていないようなものでも、話を聞きながらデザイナーにより作成された議事録内の図解がスッキリと事象を説明してくれていて、それがそのまま設計書に起こされたりといったこともあったり。


会議をリードしていく立場になると「なかなかに難しい作業だこりゃ」ということを痛感していました。論点の認識がずれていると不毛な空中戦がくりひろげられたり、議論がいつのまにか「人vs人」の対立構造になってしまったり。


そこで、グラフィックです。
議論の構造をリアルタイムに図式化して皆の前に示すことで、論点のズレを防ぎ、参加者の認識を一致させる。「私vsあなた」の対立構造でなく、「私達vs問題」という建設的な議論の方向に向かわせる。


これは、なにも議論に限ったことではなく、「みんなで何か1つのものに向かっていく」という文脈の中では強力な力を持つと思うのです。
それぞれのバックグラウンドと責任範囲と意図と利害関係が入り混じる中でどう皆のエネルギーを1つに収束させていくかというのは一筋縄ではいかなくて、まったく四苦八苦七転八倒です。


その中で、イメージを直感的に理解できるものであるとか、キャッチなコピーがあったりであるとか、
1枚の絵、ひとつのフレーズが、
関係各者に劇的な「気づき」をもたらして混沌とした状況を打開する突破口になるってことがあります。
それをプロジェクトに運び込んでくれるデザイナーさんには、「あくまで依頼の範囲で動く」のではなく、中核メンバとして関わって欲しいと思っていました。


『デザインするという言葉の語源を調べてみると、それはラテン語で「整理する」、「まとめる」という意味を持っている。デザインをするとはすなわち、バラバラな条件をひとつの方向にまとめることなのだ』*2
とは、建築家の宮脇檀さんの言ですが、デザインというものに才能を持つ人々の活躍するフィールドは広いと考えていて、「言われたものを作る」だけでなく、もっと広いフィールドと裁量で仕事に関わってもらえると、とても助かるんだけどなぁ、と常々思っていました。


というのは、僕が以前にいた部署では、デザイナーに対する評価が低すぎるというのに歯噛みしていたのです。『デザイナーの仕事は、最後に見た目よくお化粧してくれればいい』程度の認識でいつも歯がゆく思っていたのでした。デザイナーをプロジェクトに早期から関わってもらうことの意義とコストを認めてもらうことに苦労しました。


もっとデザイナーが評価されて裁量もって動けるように仕事の流れを変えてやろう、というのがひそかな僕の目標だったのですが、残念ながら力至らずにそこまでは行けませんでした。
大きな組織改変があり、その後デザイナーの人たちは、もっと評価されて裁量が大きい環境で仕事できるようになっているようなので、めでたしめでたしなのです、が、「こんなんやろうぜ!と語っていたものを、一緒に作りたかったなぁ」という一抹の寂しさもありました。


・・・などなど、個人的にいろいろな思い入れがあったので、
僕は著者のnitinoさんを知っているわけではないし、ネット上での交流したこともなく、ましてやnitinoさんは僕の知っているデザイナーさんではなく、まったくの過大な投影でしかないということは頭ではわかっちゃいるのですが、



『ほら見たことか!
 デザイナーさんの技術と才能が生かされるのはいろんなところにあるんだぞコノヤロウ!』


と、どこの誰やらもわからない誰かに対して示すことができたような気がして、
一人パソコンの前で嬉しくなって興奮していたのでした。