解釈は受け手に委ねてみる

転職の準備をしていると、
「こんなんで採用してくれるかな〜」
「この経験で、この職種を希望したら何言ってんだこいつは、とか思われたりしないか」
とかとか、いろいろ考えたり。


会社の募集というのは縁とタイミングで、
自分の手持ちの経験と能力と資質と、先方の会社の現況下で求められている人材像とどこまで重なるか、あるいは将来に重ねられる見込みが高いかどうか、って問題であって、
希望の仕事で採用とならなかっとしても「自分という人間だからお断りとなった」というよりは、
お互いのニーズがマッチしませんでしたね、というのが正確なところで。
お断りされたとしても、それはご縁がなかったってことで、
別に自分の人格が否定されるってわけじゃないんだ・・・


とかとか頭での理解があっても、
やっぱりお断りされるっていうのはある種のショックを伴うことで、
そのショックがあっても耐えられるように心の準備は必要だったりする。


どうあがいても、自分以外の人間になるなんてことはできないし、
本音のところを偽ったところで、先方の方向性とこちらが合わなければ入社したところで近い将来にその矛盾に苦しむことになるのだから、よほどの不都合がない限りは手持ちのカードをさらしていく方がよい。
先方が持っている人材の判断基準をあれこれと想像してみるよりは、「いかに誤解なく自分を伝えることができるか」ということに集中するほうがはるかに建設的なように思う。
これまでの職歴で積み重ねたものがあるのだから、自分がどういう志向と問題意識を持って仕事に関わる人間であるかは、これまで経験してきた事実をもって語らせるのが一番だ。


とはいえ、「この人物が自社で働くに値するかどうか」という価値判断は先方に委ねられている。
ある程度自分を曲げてでも先方の持っているであろう基準におもねりたい、自分をこういう人間だと印象づけたいことを耳に気持ちよい無難な抽象的属性にラップして主張したいという誘惑にかられる。
相手に与えたい印象ありきで、その印象を植え付けるにはどうすればいいか、ということを考えたくなる。


そんなところで頭がぐるぐるしていたら、連想したこと2つ。


1つは、Webデザインについてのインタビュー。

 「優しさや親切ってどう表現するんですか」と訊かれるんですが、真剣にものを作って努力したら優しさはそこに生まれるんです。優しさを人に売る人なんているわけがないでしょう。優しさなんていうのは相手が感じることで、こっちが一生懸命努力すればするほど、それを味わってくれる人は優しさとか思いやりとか親切を感じるんじゃないですか。
『63歳の世界的デザイナーが挑む、新しきウェブデザインの世界/CNET Japan』


もう1つは、昔話についての分析。
昔話では、手首を切り落とす、舌を切り落とすといった残酷といって言い描写が淡々として描かれるという。その状況に付随するであろう感情や心理描写は乏しいそうだ。
(※河合隼雄先生の昔話についての分析かなにかで読んだ記憶があるのですが、明確な原典を2007/06現在思い出せず。『昔話の深層』だったか・・・)
なぜなら、その光景に伴う嫌悪感や感情というのは、その情景を想像する読み手の中に生まれるから。(うろ覚え)


2つに共通するのは、
どう解釈するかの自由が受け手にあるということ。
価値判断は受け手に委ねられているということ。


人が物事をどう捉えるのか、どんな印象を持つのか、そのことは操作しようがない。
できるのは事実を持って語らせるということ。
それをどう解釈されるかってことは、一種の賭けだ。
もちろん、誤解されかねない部分については細心の注意をもって言葉を尽くして賭け率を下げることはできるし、経験によって賭け率を下げるための勘所も見えてくるものだが、本質は賭けであることには変わりはない。


できる限り事実と判断を切り分けていくこと、判断を受け手に委ねるということは、ある種の力強さを宿らせる。と思う。(どんな順番でどの切り口でどの事実を並べるかということ自体に一定の印象操作が潜んでくるけれども・・・)


解釈は、受け手に委ねる。
自分の頭を離れないテーマと取り組みを、明確に自覚する。
自分のバックグラウンドと関心と思想を幹として、具体的な経験とそこから得られた知見を枝葉とした、1本の体系として整理する。
他人によどみなく説明できるように用意する。

まずは、そこからか。


※自分の思考を木に例えてみるっていうのは、S嬢さんより拝借。
 このたとえが、今の自分にすごく腑に落ちて、頭に残留中。
 何かの迷いの中にいる人には響くものがあるのでは。

人間の思考というものは、一本の「木」にたとえることができる。

幹、これは、その人の個性や信念。
枝、これは、その時々に応じて広がる思考。
葉、これは、思考に伴って生まれる感情。

枝が広がり、葉を茂らせ、花が咲いて実がなることもある。
でも、時として、広がりすぎた枝葉に、人は「迷子」になる。
『人間の思考/S嬢のPC日記』

「印象や価値判断は相手が感じるに任せる」っていう考え方は、いろんな取り組みの基本的な態度として大事なような気がする。