根っこは『自分の足でたつ』ということ

ののかさんより、トラックバックを受信。
『それは難しいことかもしれないけれど 』明けぬ夜の夢


※以前のやりとり
『他人の荷物は背負えない』明けぬ夜の夢
『気持ちを吐き出す。でも荷物は自分で背負う・・・ってないもんか』

日常の生活で関係を持つ人々にはどう話していくのか、どんな線引きで話をしようか。また、相手の話をどういう態度と立ち位置で聞いていけばいいか

という私の問いに対して、

お互いの生活に負担にならない

という一つの基準をもらい、「あ、なるほど」って思う。

過去記事の中に、既に答えはあるんじゃないかと思ったのでした。

とのことで、ふむ?と宿題をもらった気分で自分の過去記事を読んでみる。我ながら「おぉ、こいつ感傷的になってやがる」思いつつ、「これかな?」という部分をピックアップ。

まず自分の足で立つこと。
不安の中で必要なのは、もたれかかれる場所を探すんではなく、立ち戻る場所を自分の中に持つこと。
『涙のふるさと』

きっと、↑このことの中から人とのコミュニケーションの立ち位置もおのずとできてくる、ってことを言ってくれているのだろう、と理解。自分の言葉で言い換えてみたり、思ったことをメモりながらののかさんの記事を何度も反芻。

■自分の足で立ち続けることが人と適切な距離を保つことにつながる

その方は「自分の足で立つ」ということを分かっている方だったので、私はその方を巻き込まずにすんだのではないか、と思っています。

そういえば、自分がよく相談していた友人もそうだったんだなぁ、と納得。
自分の足でたつ、という意識を持つことができれば、そこから逸脱しそうになることを察知して一定の距離を保つ、「過剰に巻き込まない、巻き込まれない技術」が生まれてくる。

■「ダメなときはダメ」と言える信頼関係

お互いの生活に負担にならないというようなルール。ダメなときはダメと、お互いに言える関係。

人の話を聞いて共感していくことは、相手の感情を受け止めながらも、相手の荷物はあなたのものだよ、という立場は崩さない、という微妙なバランスの上に成り立つ。
そのバランスを保っていくことは、相手の心の動きも、自分の心の動きもモニターする必要があり、集中力がいること。それができない状態なら、「今は」余裕がないということを拒絶感を感じられることなく伝えられるということが必要。

■答えは渡せない。でもそれ以外に渡せるものだってある。

 ではアドバイスは全く意味がないのかというと、そうではなくて、例えば情報を渡すということ。

私が今までしてもらったアドバイスの中で役に立ったのは、とても具体的なこと。例えば食事をとっていなかったら、簡単に作れて食べやすいものを教えてくれたとか。生活が不規則になっていたら、「とにかく起きたら窓を開けてみて」というようなことだったと思う。それは悩みに対する直接的なアドバイスではないのだけれど、気持ちを立て直すには、とても役に立ったと思う。

「答え」を言うことはできなくても(答えは自分で気がついていくしかない)、そこにつながる情報を渡したり、ともかく気持ちを立て直すきっかけを渡すということはできるということ。

どん底の時は度量のある人に頼る

ただ、悩みの真っ只中にいるときは、判断力も落ちてしまうので難しいなとは思うんですけれどね。だからこそ、ある程度の距離を保って、ダメなことはダメと言ってくれた人の存在て有難いなあと思います。

私も、自己否定のどん底の時にはあらゆる考えが歪んでいってそのこともわからなくなってくるので、それに巻き込まれずに話にのってくれる友人に何度も助けられていた。
あとは、「自分が判断力が落ちてる」ってことを自覚できて、その時は行動を控えて気持ちの建て直しに意識を向けることができればいいのかも。



一連のやり取りをする中で、考えはあちこちに発散して関連のないことは別にメモに取っていたのですがその中で改めて感じたこと。
『自分の荷物は自分で』『自分の足で立つ』というのは、「自己肯定」「自尊心を持つ」ということで、それをどう自己調達できるようにしていくか。さらにそこを根っことして、その先の具体的な考え方や行動の基準を作っていくことが、今の自分の大きな課題なんだと実感し、まずは一度、自尊心について整理してみようと思いました。まる。


#まとまらない読書レポートになってしまいました。