アクセルはブレーキを外してから

「自分の中でアクセルを踏むのだけれど、同時にブレーキもかかっていて、エンジンが焼き切れそうな、そんな感じがあります」

長いうつ状態が続き「このままではイカン」と追い詰められ、
思い詰めて初めてカウンセリングを受けたとき、そうやって話を始めた。


当時は、ゼロから立ち上げてきた仕事が、試験的な段階を過ぎて本格的に通常業務として展開していこうという時期だった。業務時間外の有志による勉強会からスタートして2年、ようやくここまでこぎつけた、というところだった。

実現したいものがある。多少の実績も作った。必要な予算も人も確保した。応援してくれる仲間もいる。ベースの方向性も明文化した。計画も作った。学ぶべきものも見えいている。

裁量が増えることでの重圧感もあるが、失敗したって経験は残る。先を心配してもしょうがない。いつだって、できるのは自分のできることをやるってことだ。

・・・そう頭でわかっていても、何か息苦しい。
エネルギーが目の前の課題に向かわず、どこからか聞こえてくる声を振り払えない。


「お前は所詮口ばっかりだよ」
「こんなこともできないで、何ほざいてんだよ」
「みんな、お前には失望してんだよ」
「価値ないよ、お前」
「そんなチャレンジして失敗したら、自分が能力ないってわかっちゃうよ?」

大学時代から書き溜めた、「励まされる、テンションの上がる」書き抜きを読む。好きな音楽を聞く。
それでもダメなら、振り払うために、受動的なメディアで頭を麻痺させる。TV、映画、漫画、ゲーム。逃避して、声をやり過ごす。
でも、それはどこまでも落ちてゆく自己否定スパイラルの入り口。
ムダな時間を浪費したこと、逃避することでしか自分を保てない本質的な自分の弱さを責める。自分を責めてムダな時間とエネルギーを費やすこと自体に、また落ち込む。


それは、それまで何度も繰り返してきたパターン。
自己否定の泥沼にはまる時もあるが、そんな時はなんとかやり過ごして、
頭が「正常に働く」時に集中的にいろんなものを片付ける。


でも、その時は違った。ついに焼き切れた。
自宅でしばらくの静養。
カウンセリングと、精神科に通う日々。


当初は、もう何もかもどーでもよくなっていた。
なんとかだましだましやってきたのに、何度も「この気づきがあればいける!」と思っては、また同じループに入りこんで、「まだできることはある」と立て直して、その繰り返しに疲弊して、「もう疲れた」というのが実感だった。

ともかく、寝てばかりいた。寝ている間は、何も考えなくて済む。
努力するということを放棄した。とにかく「自分がラク」なことに集中した。
手塩にかけたプロジェクトは人に渡った。通常業務として軌道に乗ったようだが、当初の構想のゴールからは小さくまとまった形に落ち着き、何やら悔しくて風呂で一人泣いた。
長く続いていた遠距離恋愛も壊れた。
それから、仕事はなるべく手抜き。
おっくうさが先立ち、交友関係も絞られた。


いまだに、自分の価値を下げてくる「声」、うるせー黙ってろ、と思っても消えない。
自分が選びたいあり方はこんなんじゃない。


そうして、ブログの世界を巡っているうちに知った「自尊心(Self-esteem)」というもの。

「自尊」という心は、自己の現在の姿だけでなく、自己のマイナス面さえも受け入れ、そして自己が存在することそのものを尊重、つまり「成長する未来」という可能性をも視野に入れるものだと、わたしは思う。
『自尊心考』S嬢のPC日記

ふとしたことで、「自己否定ループ」のスイッチが入ってしまう僕は、それだけ生きる力が弱いとも言えると思う。でも、ここから進むしかない。
この「自己否定ループ」を、違ったものに、建設的な自己との対話に切り替えていくこと。
それを積み重ねて、自尊心を取り戻していくこと。それが今の課題。

「自己肯定感」を、問題に気づいた青年期頃から取り戻すのは、非常に大変です。
10年以上も自分を否定し続けてきたのですから。
でも、必ず取り戻せると、私は思っています。
『発達心理学』

取り戻し方は、かかれていない。マニュアルはない。
毎日の具体的な経験を前に、どんな選択をし、そこからどんな意味を汲み取っていくのか。
その積み重ねの中から、少しずつ醸成していくしかない。