素朴な疑問へ答えるのって難しい

先日に久しぶりに実家に帰ったので、久しぶりに新聞をじっくり読んでみた。
朝日新聞天声人語ってイマイチ好きになれなくって、何で文章のお手本として取り上げられたりするのかいまだに理解できない世界。


でも、この時のお記事だけは、
詩人の谷川俊太郎さんの問答を載せていたので、思わずその場でメモを取る。

詩人の谷川俊太郎さんが、高校生に「インスピレーションがわく瞬間はありますか」と問われた。

「あります。日本語という豊かな畑に植物みたいに根を下ろして、自分を空っぽにして待ってると、水を吸い上げるようにして、言葉が出てくる」

谷川さんの問答は、直球やら変化球やらが面白くて、『ほぼ日刊イトイ新聞谷川俊太郎質問箱』をいつも楽しみにしてます。
なので、自分が気に入っているエントリを集めてみる。


http://www.1101.com/shitsumonbako/2006-04-28.html
#おしゃべりは意味だけで成り立たない


http://www.1101.com/shitsumonbako/2006-04-29.html
#大人ってなんでしょう


http://www.1101.com/shitsumonbako/2006-05-03.html
#カゴから出る長ネギはなぜかっこよくないのか


http://www.1101.com/shitsumonbako/2006-08-16.html
#質問にも、いろんな答え方がある


http://www.1101.com/shitsumonbako/2006-08-19.html
#色気とか色香っていうのはあくまで結果


http://www.1101.com/shitsumonbako/2006-12-30.html
#嘘にもいろんな嘘がある


http://www.1101.com/shitsumonbako/index.html
#伝え方いろいろ


コドモの頃に身近に一人はいてほしいタイプのおじいちゃんだなぁと思う。


僕は、いまだに
『小さい頃のあんたはほんとに理屈っぽい子だった』
と言われるくらいで、

算数を教えられるにあたって
「1+1はなんで2になるんだ?!誰がそう決めたんだ?!」
とか、

ピアノを教わるにあたって、
「どうしてその順番でその鍵盤をひくんだ?誰がそう決めたんだ?!」
いろんな抵抗?をして、
親は大層苦労をしたらしい。


でも、いまから考えると、きっとそれは、言葉にするとそういう聞き方しかできなかっただけで、

  • 抽象化された意味を扱うっていうことの大事さとか、
  • 誰が決めたっていうんでなく世界には隠された意味があるんだとか、
  • 音楽みたいに体で知るものもあるんだとか、

そういうことを知恵として感じ取りたかったんじゃなかいのかなぁ…とか思ったりする。

じゃあ、昔の自分の問いに今の自分ならどう答えるかとか考えると、やっぱりむずかしい。