信じるものを選び取るということ

多くのブログを読んでいると、まさに玉石混交混淆。

読んでいて、「これ読んでよかった」と思える文章がたくさんある。言葉が染みるようにすっすっすっと入ってくる。深いところに打ち込まれてズドンと響く。「あー、そういう視点もあるのか」という気づきがある。すっと入ってきた言葉が自分の世界を広げてくれる。


その一方で、読後感の悪い文章もある。
それは、衒学趣味が強すぎたり、あきらかないいがかりで誰かを不当に貶めたり、押し付けがましかったり。
防衛のガードを上げる。心の中で「もうけっこうです」。途中でページを閉じる。


この違いはどこから来るんだろうか?
小気味よく、押し付けがましくなく、ズドンと急所に打ち込んでくる文章を書く方達の共通点をぼんやりと考えてみるけれども、まだ見えない。いつか見えてきたらまた言葉に起こすことにチャレンジしてみようと思う。


ただ、いま一つの仮定としては、まず確固とした立ち位置を持っているということ。違うテーマの文章でも、その人のたくさんの文章を読んでいくうちに見えてくるのは、バックグランドに常に同じモチーフが繰り返されているということ。
そして、そのモチーフの根底には、その人が「選択」した信じる意志がこめられているように思えてならない。


そんなことを考えたのは、↓のエントリを読んで。

『悲観主義とオプティミズム』My Life Between Silicon Valley and Japan
オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。


僕が「その人の文章は必ず読む」ことにしている方々が、いつかに選んだであろう「意志」が垣間見えるような文章を集めてみる。

『河合隼雄のカウンセリング入門』p.101 河合隼雄

 しかし、人間というのは聴いていくと、つまり放っておくのとは違って、一人の人が真剣に受け入れるというような立場でかかわってくると、自分の問題を整理したり、見直したり、新しいことを見出していったりして、その人自身が立ち直っていくことができる。そういう人間のあり方というものに僕らは頼っている。たった一つ、それだけを頼りにしてカウンセリングをやっているのです。

『海のふた』よしもとばなな

だからこそ、大したことができると思ってはいけないのだ。と、思えることこそが好きだった。私のできることは、私の小さな花壇をよく世話して花で満たしておくことができるという程度のことだ。私の思想で世界を変えることなんかじゃない。ただ生まれて死んでいくまでの間を、気持ちよく、おてんとう様に恥ずかしくなく、石の裏にも、木の陰にも宿っている精霊の言葉を聞くことができるような自分でいること。この世が作った美しいものを、まっすぐな目で見つめたまま、目をそらすことに手を染めず、死ぬことができるように暮らすだけのことだ。

『毎月新聞』佐藤雅彦

僕は、身動きの取れない状況を動かすきっかけが、自分が本来何をするべきかという、大上段に構えた正論ではなく、1個のネーブルオレンジだったという現実に素直に感動した。もしや、未来の見えない閉塞状態にある日本も、小さな問題をきちんと解決することが、この流れを帰るきっかけになるかも知れない。そう思うと、自分のような小さな力も自分の力の届く範囲できちんとやるべきことをやれば、果実を立派に守ったオレンジのひからびた皮になれるかも知れないのだ。

『ほがらかな名言集 vol.8』ほぼ日刊イトイ新聞

ぼくね、大事なお客さんを集めて、
(ゲイだということを)告白したときにね、
自分はゲイだということを今言うことによって、
免罪符を得ようとも、
みんなから認めてもらおうとも思わない。
だけど、あいつはオカマのくせして
男のオレもできないような頑張りしてる、
べつにオカマでもいいじゃないか、
人間として素晴らしいと認めてやろうと、
思ってもらうように努力しますから、
って言ったの。


「世の中には人とは違う人がいるんです。
 そしてその人とは違う部分を
 ただただ無駄に浪費している人もいれば、
 一生懸命、他人の役に立てようと
 思っている人もいる。
 でも、そうした人を見て、あいつは変だ、
 みんなと一緒じゃないとダメだ、
 と言って潰していく人がいっぱいいる。
 だからぼくはは今日、この瞬間から、
 小さな違いを大切にしながら一生懸命、
 役立とうと思って生きていきます。
 全ての人達の為にカミングアウトしつつも
 頑張ります」

『自分の中に毒を持て』岡本太郎

 誤解される人の姿は美しい。
 人は誤解を恐れる。だが本当に生きる者は誤解される。誤解される分量に応じてその人は強く豊かなのだ。誤解の満鑑飾となって誇らかに華やぐのだ。


 ぼくはプライドというのは絶対感だと思う。自分がバカであろうと、非力であろうと、それがオレだ、そういう自分自身に責任を持って押し出す。それがプライドだ。ところが自尊心とかプライドだといいながら、まるで反対のことを考えている人間が多い。
 他人に対して自分がどうであるか、つまり、他人は自分のことをどう見ているかなんてことを考えていたら、絶対的な自分なんてなくなってしまう。

『マンパワーの発掘』S嬢はてな

 マンパワーってのは無限に発掘できるはず。わたしはここを信じているのだと思う。そしてそこに必要なのは、堅苦しい議論をできる力よりも、実は一休さん並の頭の柔らかさと明るさなんではないかとも思うのでした、まる。

追記

 ・このエントリは、ちょこちょこと書き足そうと思う。(2007/03/07)